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2006.05.10

本当に格差社会になったのか?

----------- この記事の序文 ここから ---------------

「格差社会」・・・嬉しくない現象です。私もずいぶん損な人生を歩んでいますし、女性であること、また社会人としての最初のスタートが違うという理由だけで、超えられないカースト制度とも言うべき理不尽さにいきどおることもあります。

そう思いつつ、漠然とこの記事を書き、アップしましたら、恫喝じみたコメントをもらいました。
その恫喝じみたコメントをつけたのは、実は新聞記事で「格差社会」の差別に苦しみ戦っている人物として紹介されている方でした。

この一連のコメントにより、苦しめられておりそれに勇敢に戦う人が必ずしも(私にとって)善良なる者だとは限らないのだと、実感したのでした。
自分も思わぬところで、二分法思考をしていたのです。

へたくそな文章表現が生み出す軋轢のひとつの例としてお読みください。

(2007/11/07 AM0:40 序文追加)

----------- この記事の序文 ここまで ---------------


最近新聞で、「格差社会」という文字が躍るようになってきています。
また4月の後半には共同通信社の特集記事
「格差」をみつめる 不安定雇用の若者たち 第一部(全12回-多分)
というものが連載されていました。

フリーターとか、派遣とか、請負で働く人たちと
正社員との扱いの格差を特集したものです。

 読んだことのない方のために
 取材元の方のブログに、第7回分が転載されています。
 http://blog.livedoor.jp/fmwwewwmf/archives/50484489.html

しかしですね、
よく考えてみると
長い歴史上、格差というものがなかった時代というものは
存在しなかったと思うのです。

江戸時代以前は身分差が社会基盤でした。
明治以降も、都市部と農村部の差、地主と小作。
GHQの農政改革で小作人はいなくなって(農業衰退の元でもあると思う)
時代は高度成長期に移るわけですが
やはりその前までは準封建制度的な考えは残っており
高度成長期の都市部では
黄金のタマゴとして中卒の人が安い給料で雇用されていました。

一億総中流社会という認識の時代も
雇用・給料の面で考えると
男女差(正社員・パートの区分けとほぼ一致?)
大企業と中小企業の差(元請、下請とほぼ一致?)
というものが
当然のようにあったのではないでしょうか。

また、学歴差も格差の一種でしょう。

そう思うと、総中流社会というものは、一種の幻想であったと思います。

もちろん、門地にかかわらず
成績さえ良ければある程度出世できたわけですが。
(ただし、片親の場合等は就職に不利な扱いを受けるというものはあったと思う)


それなのに、なぜ今、
格差社会という言葉がクローズアップされてきているのでしょうか?


今問題になっているのは、
単に今まで格差が存在しなかった恵まれていた人たちの間に
格差が付くようになっただけのことではないかと
そんな風に思いました。

たとえば、松下等の一流企業といった社内で、しかも男性という性の
今まで高待遇が当たり前であって安定していた人たちの待遇に
身分差ともいえる、
個人の努力ではどうしようもない壁ができたのを
騒いでいるだけ、と。


格差というものを容認して対策をなにもしないとか
制度としての社会的保障を否定するとかの主張の持ち主では
決してありませんが
そんなことに、ふっと気づきました。


---------------

終身雇用は一部崩れ去ったものの
どこかで躓いたら
 (たとえば新社会人になるときや、
 女性であれば妊娠出産で仕事を辞めたとき)、
途中で這い上がる制度がないこととか
実際には働かない虚業(投資会社)の人たちが
巨万の富を得ている不公平感というのが
自分としては問題のような気がします。

------------------------
2006/5/13 追記

この記事内で、吉岡さんのブログにリンクしていたところ、ご自分の思いとは違うことが書いてあるので、リンクをはずして欲しい、表現を変更してほしい等の申し出がございました。

この一連の流れについては、コメントをご覧ください。

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